はじまりの日

あなたの心を大事にしたい

何よりも最優先であなたの心を大事にしたい

安全第一

健康第一

じゃなくて、あなたの心が第一だよ

あなたの心が安全で

あなたの心が健康で

平和で愛で幸福でワクワクで温もりでそれら全てで満たされてること

愛する人

愛する仲間

愛する地域

愛する国

愛する世界

愛する地球

愛する銀河

愛する宇宙

愛する歴史

愛する未来

どこまでも広く愛して

どこまでも長く愛して

どこまでも愛しきって

その心を新しい星の始まりの細胞1つにしまいこんで

そこから細胞分裂を始めて

そこからまた新しい生命をスタートさせて

はじまりの日を共に迎えよう

人の命

人の命は尊くも儚いもの

いつまでも続くかと思えば突然に消えゆくこともある

私が愛したあの人も母も

父も

一度に失ったあの日

この世はなんという地獄なのかと狂いもがいた

神はなんのために私にこの苦しみを

なんのためにこの絶望を用意したと言う

いったいなんの意味を求めればいい

答えもわからぬまま また一人愛する人が消えゆこうとする

消えゆくのを知りながら愛さずにはいられない

愛することが赦され

殺すことが赦されぬなら

私が愛し、殺してあげたい

私から失われるのでなく

私自身が失うことの選択者でいられるなら

そこに幾ばくかの安らかな余裕を持っておける気がして。

できることならあなたの心臓に鎖をかけて、私の心まで繋いでおきたい

どうか勝手に消えないで下さい

もうこれ以上の死に、私の命が耐えられない

あなたのことを愛しています

足りないから満たそうとする我が心

満たされない自分の心。

 

その心を埋めようとする。

誰か愛する人を手中にすることによって。

何か自分の強欲を満たしてくれそうなモノを手に入れることによって。

何か贅沢な経験を行い、それを達成できる自分に酔いしれようとして。

 

しかし、しかし。

それで、その心は満たされない。

なぜだろうか。

 

足りてないからである。出発が。

そうではない。

いつだって「今ここ」は全て完璧である。

今ここ、の中に全てがある。

過去はない。未来もない。ただ「今ここ」だけがある。

その毎旬の蓄積だけがある。

足りてない今の蓄積で、満たされた未来にいくことはない。

 

現代人には何が足りていないのか?

平和のために、何が世界には足りていないのか?

我々の心に、何が足りていないのか?

 

本来足りていないものはなにもない。

全ては満たされている。

まず、そのリアルを理解できるのかどうか。

認識できるのかどうか。

その概念を受け入れられるのかどうか。

 

私たちは今、当たり前に地球が自転公転し、太陽を中心としたその太陽系の中の運動法則の中にいることを受け入れている。

地球の中に暮らしていては、明らかに動くのは太陽であり、月であるように見えるというのに。天動説でなく、地動説を当たり前に受け入れている。

今の時代に太陽が動いていることを言うことの方がバカにされる。

なぜだろうか。

言わずもがな教育である。

知性は、目を使って認識する世界を凌駕する。

智慧は5感覚を超える。

 

もっっと智慧を研ぎ澄まして心の世界を明らかにしていけば、世界はもっと美しくできる。

世界はもっと楽しくなる。

世界はもっと幸せに向かえる。

北朝鮮と韓国の融和をどう受け止めればよいのか

衝撃的展開となった北朝鮮と韓国との突然の融和ムード。

様々な報道にて様々な憶測が流れる中で、興味深い動画がFacebookに流れた。

投稿者は新たな教育産業を通じて世界を変えようとするNRグループ会長のNoh Jesu氏。

曰く、南北の融和の可能性、朝鮮半島からの米軍撤退の可能性、金正恩氏のノーベル平和賞の可能性まで示した上で、それでも共産主義と自由主義の思想が氷解し、ひとつながりにできるわけではないのだと。

 

確かに突然の融和ムードをいきなりそのままに受け入れることは難しい。

なにか裏があるんだろうと嫌でも勘ぐりたくなる。

しかしそうは思いつつも、やはり今回の件は非常に大きな意義であり、朝鮮戦争の終結が70年の時を超え実現されようとしているこの歴史的な瞬間は、純粋に興味深い。

長崎出身の私としても、核保有国の北朝鮮がその一切を放棄しようとすることは、これは大変に革命的なことで、実現したとするならばなんだか喜びとともに不可思議な感覚も覚えそうに感じる。夢のようだし、狐につままれたような感じなんだろうなー。

 

そんな不可思議な思いも入り混じりつつ、数日間を過ごしていたが、動画にあるように思想が溶け合うことが決定されたわけではないことに、大きな納得感を抱いたわけである。

 

思想の分断というソフト面は単純に握手したり、ハグしたり、ハード面だけでは解決しえない難しさがある。形式的なものだけではあいにく人の心は溶け合えない。

 

真の平和のためには思想レベルでの融和が必要で、それは言うなれば共産主義と自由主義の融和を果たす新イデオロギーの必要性を意味し、その新たな概念を共有する教育の必要性を意味する。

 

平和に向けては、平和の教育無しにはありえない。

平和の教育で平和の人間を生むからこそ、その実現を迎えることができるのだ。

認識と存在の関係性

前回記事の続き。

月は私たちが見た瞬間、月としてそこに存在する。

存在するから認識するのでなく、認識するから存在する。

存在が原因で認識が結果なのでなく、

認識が原因で存在が結果である。

正確に言えばそこには時間がかからないので、重畳してる世界だけど。

 

このことにどんな意味があるのか。

 

例えば嫌いな人を思い浮かべてもらいたい。

どうしても好きになれないあいつ。

その彼(または彼女)は絶対的に存在しているわけでなく、あなたがそのように認識するから、その嫌いな人物が存在するわけだ。

むかつくというのは相対的な感情で、相手だって誰からも嫌われているわけではない。少なくとも両親からしてみれば愛すべき息子or娘である。

あなたがどのように認識するかで、どのような存在が登場するかは変わってくる。

認識1つで世界はひっくり返るのである。

 

そう言われたって、むかつくものはムカつく。。

その心もあることでしょう。

それはそれで原因があるけど、それはまた別記事ででも。

 

まず一段階重要なのは認識次第で世界は変わるんだってことの理解です。

相手への憎しみという認識、愛という認識。

どう認識するかで、人との関係性は代わり、平和に向かうことができます。