なんのために働くのか

仕事。

社会人になる=仕事するということ。

仕事することは楽しいことばかりじゃない。。

 

毎日仕事しながら、もしかしたらそんなことを感じられてるでしょうか。

人はなぜ働くのか。

なぜ働かないといけないのか。

なんのために働くのか。

 

そんなことを考えることってありませんか?

私たちは仕事をしながら生きていきます。

人生の大半は仕事をしている時間です。

仕事を選ぶことは、人生を選ぶこと。

仕事に一生懸命になることは、人生に一生懸命になること。

仕事がつまんないは、人生つまんない。

仕事にやる気が出ないのは、人生にやる気が出ない。

ある種、仕事と人生は同じような意味合いを持ちます。

 

みなさんは仕事楽しいですか?

仕事が好きで好きでたまらないですか?

 

そのような方はほとんどいないでしょう。

それを裏付けるデータも色々でてるし、世の中でもそうした状況に対する議論がいろんなところでなされているみたいです。

 

でもどうして楽しくないのか?

シンプルに言えば、つまんないからですよね。

 

今の20代と、上司にあたる40代・50代の方が20代だった頃、

状況が違います。

今の時代と20~30年前の時代。

その頃まで時代を遡ると

1980年後半〜1990年後半の間くらい。

どんな時代でしょう?

 

続きは順次書いていきたいと思いますが、

何事も大事なのは原因を理解すること。

 

原因がわかれば、解決に向かえます。

逆に原因がわからないと、解決にいけません。

ただ、現象に振り回されます。

 

原因を突き止めて、解決に向かいましょう。

ここが変だよ社会人 ここが変だよ日本社会

20代のみなさん。

みんなどうやって社会人やってます?

社会人って結構大変

じゃないです?

不通に社会人やれちゃってる人って、僕尊敬します。

だって大変ですよね。社会人。

今日はちょっとその社会人の大変さについて書いてみたいと思います。

 

Question:なにがそんなに大変か?

僕が思いつくだけでもざっとこんなことがあるんじゃないかと思います。

 

・自分が本当にやりたいことがなにかがわからない

・自分がやりたいことで稼いでいくというイメージがどうにも湧かない

・自由な時間が取れない

・いつでも一緒で何でも話せる親友と言える友を持つことができない

・親友不在のまま、本音を出すことができないままで日々が過ぎていく

・本音が出せないからストレスが溜まる

・自分の本音がなんなのかも段々よくわからなくなる

・自分が何を感じてるのか、よくわからなくなる

・仕事以外にやること、やりたいことというのが段々なくなってくる

・休みの日はゆっくりしたい、寝るだけになる

・自分の人生、これでいいのか?と、仕事以外なにもやることなく終わっていきそうで強烈な不安を感じるし、そんな将来をイメージするとやるせない気持ちになる

・夢はあったけど、このままの延長上に幸せな未来があるとはどうにも思えない

・友達と遊んだり、一時的に楽しいと思えることはあっても、すぐに他の悩みや考え事がでてきて、不安感や心配が終わることがない

 

どうしたら幸せなのか?

どうやったら幸せになれるのか、幸せに生きれるのか

 

答えがわからない

生きる意味がわからない

進むべき道がわからない

自分の価値がわからない

この世界の中での自分の存在意味がわからない

 

このままでいいのかなと思う

このまま歳とっていくのかなと思う

こんなことを思う自分が変なのか?

 

自分がおかしいのか?

みんなはこんなこと思わないのか?

みんなはどうやって生きてるんだろう?

なにを考えて生きている?

なにがしたくて生きている?

どこに向かっている?

どこに行こうとしている?

 

・・・

 

とめどなく考えが頭を駆け抜けていきます。

 

正直な話、僕は今の社会にとてつもなく憤りがあります。

11人を助けられていないからです。

今のみなさんの悩みというのは、みなさんに責任があるわけではありません。

 

海とお魚の話は聞いたことありますでしょうか?

魚は海の中を自由に泳いでいます。

魚は自分の人生を自由に楽しんでいると思っているかもしれませんが、

実はその魚は、魚単体では絶対に生きることができません。

そう、海が必要なのです。

そして、魚は無意識に海の影響を受けています。

海の水が汚れていれば、魚も健康ではいられないし、

逆に海の水がきれいなら、魚は健康に生きることができます。

人も同じですね。

今の自分の悩みは、自分個人が抱える悩みのように思いがちだし、

その原因は自分自身にあるんだというふうに思いがちです。

ですがそれは事実ではありません。

事実であるはずがありません。

私たちは必ず社会という海の影響を受けているからです。

自分の悩みは社会の悩みです。

ということは社会が解決するべき課題であり、問題です。

ですが、社会はその悩みに真っ向から向き合うことはありません。

むしろその責任は個人に押し付けられ、個人でどうにかしろとでも

言わんばかりに、一人ひとりの問題に手が差し伸べられることはありません。

貧困、DVなど、多少の行政サービスで対応することがあっても、根本的な

問題解決に至ることはできていません。

 

著者の紹介(short.ver)

さて、今更な感もありますが、

この辺のタイミングで、著者(私)のことを少しご紹介しておきたいと思いますので、しばしお付き合いください。

 

ヨシムラヒデキ

先日32才の誕生日を迎えた昭和61年生まれです。

長崎県の平戸島という小さな島で生まれ育ちました。

小学校の頃から積極的にリーダーシップをとる方で、

よくクラスのまとめ役を担ったり、みんなの意見を代表して

先生に発表したりするようなタイプの子供でした。

 

そんな小さな僕の人生に転機が訪れたのは大学卒業後に伴い

その後の進路を決めていく21~22才の時です。

 

それまではクラスや周りの中でもひときわ注目を浴びるような明るい存在で、

みんなの輪の中で楽しく過ごしているような人間でした。

その瞬間を楽しみ、大人にはなりたくない。

そんな思いの中で仕方なくというか、避けられもせず、社会人となる

時を迎えたような印象があったのを覚えています。

 

特にやりたいこともなかった僕は、これからの時代はITがまだまだ伸びそうだなー

という単純な理由と、自分が人と会ったり話したりするのが好きだったという

安直な理由から、ITソフトウェアの営業を地元九州福岡でやれそうな一部上々の

大手企業に入社しました。

 

周りからも、「大手に入って安心だね」というような言葉をかけてもらってましたが

自分としては全くテンションは上がってませんんでした。

別に働くことに意味を見出せて無かったし、もっともっと学生時代を満喫して

遊んでいたかったので。

 

入社してしばらくは研修期間として会社の研修施設で、同期数十人と研修を

共にし、合宿形式で、修学旅行の延長みたいな感じで遊んでいました。

 

でも、ただタイミングがきたからそうやって働く準備を進めていただけで、

自分がなんで働かなきゃいけないのかとか、なんのために生きるのか、

自分が何を成し遂げていこうとするのかとか、本質的なことには全く答えを

見出せず、ただなんとなく「周りもそうだから」という理由でなんとなく

働き始め、でもなんら前向きになれず、なんら積極的にしようと思えず、

なんらやる気を抱くこともなく、ただ漫然と研修の日々を過ごしながら、

「大しておもしろくもねーな」というつまらない感情の蓄積だけを重ねて

いく日々でした。

 

そしてその日は突然に訪れました。

尊敬していたK先輩の死です。

 

僕は3人兄弟の末っ子。

7つ上に姉、5つ上に兄、そしてその下の末っ子次男として生まれ落ち

育ちました。

 

少し年が離れていることもあり、年の近い兄弟に憧れていました。

そんな僕にとって、実の兄以上に親しく、そして幼い頃から

面倒をみてくれていたのが1つ上の先輩で、近所に住むK先輩でした。

 

先輩と書いてますが、ほんとに兄のような存在で「Kくん、Kくん」

と僕は呼んでいました。

 

K先輩はサッカー部に属し、Kくんを追いかけるように僕はサッカー部

に入部し、彼の背中を追いました。

地域選抜には楽勝で入るほどサッカーうまいし、学校では人気者で、

男友達も多いし、女友達も多くて、クラスでも人気で、誰からも慕われる

ような人間性を持つ、そんなKくんでした。

 

そのKくんが亡くなったことを聞いたのは21才の夏。

確か僕が大学3年だったかと思います。

 

死因はなんと

自殺

でした。

それはそれは衝撃的でした。

あんなに友達が多くて、あんなに明るく楽しそうにみんなと話しをする

Kくんがまさか自殺するなんて、、

 

1番自殺とは遠い人。

そんな人でした。

そんな彼が自殺しただなんてことだから、

田舎では噂が噂を呼び、本当にその時は一大事件でした。

 

葬式では異例の1000人以上が参列。

それだけ衝撃的な出来事だったし、それだけ顔の広い人でした。

 

そしておいおい明らかになってきたことで、実はKくんは家族にだけ

遺書を書いていたらしく、そこにはなんと

”人間関係”が苦しくなって自分は死ぬ

という旨のことが書かれていたそうです。

 

そこ僕は時代の闇を感じました。

Kくんは消防士として2年ほど前に社会人になったばかり。

運動神経も高く、潜水士など、どんどん難しい資格も取得していき

優秀な消防士としてのキャリアを築こうとしていた最中の自殺でした。

 

そこで僕が感じたこと。

この世界はおかしい

ということ。

 

あんなに素敵で、あんなに頼もしく、かっこいKくんが自殺する。

そうなるような環境があること。

そうなってしまうような社会があること。

 

これは絶対におかしい、と。

 

そのことを強く心に感じたのがあの日の夏の出来事でした。

 

社会はおかしい。

まともじゃない。

普通じゃない。

間違っている。

なにかがおかしい。

なにかを変えなければならない。

 

そう深く心に刻みました。

ただ、なにがどう間違っていて、

なにをどうしたらいいのか?

 

そこには全く答えが見えませんでした。

22才からずっとその答えを探し求め、

奇跡的にその答えを見つけたのが4年後の26才の頃。

 

それが今私が懸命に伝えていきたいと思う

”n-Tech”(認識技術)

だったんです。

 

このブログではそのn-Techのことを中心に書いていきたいと思ってます。